Kurume・Tosu Internet Conference

「The Journal of Internet」 1999年春号 || H O M E || || 2 || 3 || 4 || 5 || 6 || 7 || 8 || 9 || 10 || 11

協議会活動の根底にあるもの

久留米・鳥栖地域インターネット協議会
会長 高田 勝
(久留米工業大学 元学長)
 11月上旬、ハンガリーにいる知人から近況報告のメールが届いた。その数日前に私の出したものへの返事だが、写真も付いていて元気な姿が鮮明に見えた。
 5、6年前、まだ久留米工大に在職中、夕刻ワシントンにいる人にメールを送った所、翌朝、送信した同じ日付で返信があり、しかも朝八時の発信時刻なのに吃驚した。
 便利になったのは確かだが、時間と空間が誠に狭くなってしまった。
 今日では当たり前の事ではあるが、このようになるには技術的進歩もさる事ながら、多くの人々の努力が蔭にあることを忘れてはならない。
 久留米地域では、今から約十年程前、工大でのCAI教室のLANが事始めではないかと思う。1991年電網化(ネットワーク化)は学内全般に拡大、WIDEにより全世界の電脳網(インターネット)に繋がれた。
 更に図書館の情報化も行われた。 これからは1987年頃の工大理事会の将来計画委員会答申中に述べられた、電子化大学構想に沿ったものである。
 これが久留米地域情報化に繋がったのは5、6年前、当時の企画財政部長が工大を見に来られて、市当局が燃え上がったからだと思う。1993年10月頃より電網化研究会組織の検討が始まり、翌年6月、久留米・鳥栖地域ネットワーク研究会が発足。 以来、久留米・鳥栖地域技術振興センター(TMC)に、諸事お世話になっている。
 研究会は電脳網の利用運用についての研究が目的であったが、産業界の参加を容易にし、地域の電脳網普及を推進すべく、翌1995年には協議会となった。なお、市当局は1995年に郵政省の後援をも得て、情報基盤協議会久留米地域分科会を設置、その報告に基づき、久留米情報みらい21研究プロジェクトで、地域情報化を熱心に進めてある。
 振り返って見ると、此れまでの電脳網基盤整備には、運用を含めて産学官一部の方々の一途な奉仕活動に依る所が極めて大きい事を強く感じる。平常業務の中で新しい事を始めるには、己を犠牲にしたこの奉仕精神と、周りの人々の理解がないと出来ない。地域の産学官共にその点理解があり、またその連携の良さに恵まれていたと思う。
 協議会活動の根底には、この奉仕精神、進取の気性、そして良き環境があったと思う。
 此れからは、この基盤を大いに活用する事で、地域の変革を遂げねばならない。 それには活用する人々に、やはり新しいものに取り組む意気込みと、奉仕の精神が欠かせない。
 核エネルギーではないが、まだ臨界点の少し手前のような気がする。今一歩だ。


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